自律神経雑誌創刊時の巻頭言
先日、全日本鍼灸学会雑誌が届き、読んでいましたら下記の紹介がありましたので読んでみました。
J-Stageでも掲載されております。
1948年に第1巻を発行した自律神経雑誌の巻頭言から。
笹川久吾.創刊の言葉.自律神経雑誌.1948;1(1):3.
終戦から約6年後に今の鍼灸雑誌の前身ともいえる雑誌が始まったようです。
全文;
日本に行はれている鍼灸術なるものは科學的根據のない謂はゞ迷信的治療法であつて、公衆衛生的立場からは思はしからざるものであるとの意向が進駐軍衞生當局から出で、斯界にとつてはたゞならぬ事態になつた所漸く昨秋の様な事になつて一先づ愁眉を開くこととなつたのは大方の知る通りである。鍼灸には科學的の裏付けがあるという當局の辯疎も通つた譯である。
然し熟々顧みるに本邦の鍼灸は單に科學的の根據を有してゐるというだけで満足すべきであるまい。其の科學的根據なる原理が鍼灸術の實際と緊密の連絡あるものでなければならぬ。即ち鍼灸術の科學的説明の可能性と共に之によつて招來さるべき鍼灸術の進歩發達とが今後益々要望せられる所以である。斯くて鍼灸醫學なるものが體系づけられ、そこに發達した鍼灸術は近代醫學の治療法の一つとして近代醫學が歡迎して採擇すること、恰もレントグン學やレントグン技術の如くならねばなるまい。近代科學の粹たる醫學に於ける種々の診療術と雖も其の濫觴に至つては、今日の鍼灸醫術より遙かに素朴にして幼稚なものから發足したものが多々ある。東洋に於ける永い歴史と經驗とを有する鍼灸、それはインヂカチオが確實でさへあれば確かに治るといふ事實と他の追隨し難い東洋的手技とが身上である鍼灸は、幾多の近代醫學的諸診療法に劣らぬ進歩の發足を信じてよろしいと思ふ。日本の醫學界は明治の維新期に於てあまりに玉石混淆的に漢蘭方を捨て過ぎ、七十年の後周章後悔して其の良きを更めて探り採らうとしてゐる。其中に漢方醫藥と鍼灸術とがある。乃ち將に消え失せんとした火種をこれから旺盛に守り立てねばならぬ大切の秋である。
鍼灸の近代醫學として成り立つ可き原理は已にマツケンジー・ヘツド、ラングレー石川(日出鶴丸)博士等が打ち建てゝゐる。之からの鍼灸醫界は此の原理を鍼灸施術の實際に應用し得る樣、而してその事によつて益々鍼灸醫學の體系付けが進む樣努力せねばならぬ。
遮莫、現代の鍼灸人は次の事柄を反省せねばなるまい。即ち、消毒不十分其他不衞生的なるものの多い現在の鍼灸施術、適應禁忌に考慮の乏しい否之を辨へさるが如くに迄考へしめられることの多い診療状態、教養殊に一般醫學的知識の低調、業界の派閥爭ひ等之れである。殊に第四者は蝸牛殼上の爭が總てのものを失ふ結果に立ち至る可きを戒心せねばならぬ所である。但し、鍼灸人に共通の長所は熱と情とであらう。蓋し、之あるが故に派閥爭ひの一因ともなつたであらうが、またこの特徴は本邦の鍼灸を發展せしむる原動力でもあると観られる。此熱と意氣とを以て短を捨て長を採つて邁進することが刻下の急務であり肝要事である。
本學會は此の肝要性の爲めに故石川博士の遺志を繼いで生れたもので、鍼灸醫學の體系付けを以て念願とし、派閥に超然として一に日本鍼灸の科學的進歩の原動力たらんことに努めるものであるが、差當り、會員所管の研究室に於て鍼灸術の科學的探究を行ひ、且つ鍼灸人の向上を圖る爲めに例會等の集談會を興して討議を公に旺んにし、知識を普及するために自律神經雜誌を發刊することゝした。
斯界向上の爲め鍼灸醫人の賛同を切望して止まない所である。
創刊前已に別記内容の如く米國陸軍省から本會に對して本誌送本の申込を受けた。これ
は單なる雜誌社同志の交換雜誌申込とは聊か趣を異にすべきものであつて、東洋醫術鍼灸と本誌との認識の爲め慶すべきことであつて創刊の意を強うする所以である。
この短い文の中に、圧倒されるものを感じる鍼灸師はたくさんいるのではないでしょうか?