日本の詩文学と痛み
外須美夫. 痛みと文化.日本の短詩型文学かた痛みを考える.ペインクリニック.2007;27:883-889.
医療者は、自分の目の前の患者さんの痛みが消えないとき、自分の力の足りなさを知る。
痛みを取るために、痛みの伝導路を遮断したり、発痛物質を除去したり、鎮痛薬を使ったりするが、それでも消えない痛みがあることは、痛みをつかみ切れていないということ。
昔から痛みを色々な形で表現されてきており、言葉にしたりすることで自分の中に痛みへの抵抗力や治癒力が生まれることがある。
短歌や俳句;
心つくして うたを憎めよ その傷の
痛みすなわち 花となるまで (斎藤 史)
~傷の痛みが花に変わるまで、心を込めて歌を作りなさい。痛みは歌を憎むことによって、花に昇華することができる。すなわち痛みが不快なものから、いとおしいものにさえ変化しうる。そのためには心尽くすことが必要で、その過程では憎むこともあるだろうが、そんな時だから痛みを変容できる。~
正午より 空曇りきて リウマチの
痛みのきざす 右の手あはれ
~昼から空が曇ってしまいリウマチの痛みが出てくる。哀れな自分の手よ。
言葉にすることで痛みなどを共感してもらえる。
糖尿病に 足ひきてゐき その病気を
第一病に 諸病つのりき
~足は糖尿病のため壊疽を起こしている。その後は眼や腎臓などのいろんな病気に襲われたなー。自分というやつは。
石川啄木と痛み;
痛む歯を おさへつつ 日が赤赤と
冬の靄の中に のぼるを見たり
たんたらたら たんたらたらと 雨滴が
痛むあたまに ひびくかなしさ
1首目は、歯痛で、2首目は頭痛
歯痛は朝日のようで、
頭痛はあまだれのよう
文字数に制限があるからこそ、そこから紡がれる言葉の世界はどこまでも広い。
どこかのだれかが、日本文学を「不自由だからこそ、なによりも自由になれる」といっていました。
痛みを取り除けないこともあるが、それでもこうしたところから何が出来るかのかを考えるヒントはあるかもしれません。